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1、文化と民族の故郷 本土復帰以後も、私は“戦後”がもっとも長く残った悲劇の島という印象をいまだにこの県から拭い去ることがてきない。 この島民を第二次世界大戦終末時の最大の犠牲者にしたうえに、戦後二十七年間にわたり異民族支配の悲しい状況を放置した責任は、一憶国民のすべてが感ずべき問題である。 私は本土の一員として、沖繩県の人々のより大きい幸せと繁栄を心から祈らずにはいられないのてある。 沖繩は歴史的には非常に気の毒なところで、かつては琉球と呼ばれ、鹿児島の島津氏の支配をうけながら、一時清国(中国〉の柵封をうけた中山王との二重支配下にあったことがある。 しかし、中国の書物にさかんに出てくる琉球は台湾のことであって、沖繩ではない。 中国史書の『琉球伝』が、歴代琉球(台湾)を中国領土の一部としていることから、いろいろの誤解がいまだに残っているのはたいへんに残念なことである。 しかし、沖繩県は本来、純日本民族の古くからの居住地である。 その島民は、人類学上、中国人や台湾の生蕃などとは無関係であり、まぎれもなく南海型の典型ともいうべき日本人なのである。 沖繩のことばには、奈良朝、万葉時代の日本語が停滞している。 ここにはアイヌの「ユーカラ」に匹敵する「おもろそうし」があるが、これには『古事記』と同じような神話が残っている。 これが記されたのは鎌倉時代だが、話の内容は奈良朝以前からの伝承で、イザナギ、イザナミの創世神話とそっくり同じものがててくる。 つまり、高天原神話は日本全体にあったもので、これが中央で編纂されて『吉事記』になり、天皇中心のピラミッド型の神話になって、再び各池に帰って行くのだが、沖繩の場合は二度目の伝播がなく、『吉事記』に統制される前の神話が生きつづけてきた。 したがって、基本的な神話ルールは同じで、「おもろそうし」を読むと、日本全体の神話のようにすら思えるのである。 沖繩に伝わる神話が日本神話の古型なら、民間信仰も古神道の残存形である。 学問上からは、沖繩は日本古文化誕生の地、日本民族主流の故郷とさえ考えられている。 したがって、中世から近世に至る異国の二重支配は、単に貿易上の便宜的な形式であり、琉球とは日本南島が独立自治の地域的国家経営を行なっていた姿なのである。 本土の繩文式土器や弥生式土器もここまで分布しているが、位置の関係から中国の文化の影響が強いことは否定てきない。 沖縄の踊りを日本の古代舞踊のように思っている人がいるが、それは誤りである。 民謡の歌詞や内容には、たしかに古い日本が生きつづけているが、舞踊は江戸時代に京都にやってきた沖繩の舞踊家が、京の踊りを修行して沖繩の民謡を再編成し、振り付けしなおしたものである。 三味線は沖繩を通じて日本にはいってきたが、それが日本的三味線音曲になってふたたび沖繩に戻り、蛇皮線によって演奏されるようになったのである。 2、勤勉で努力家 さて、沖繩県は北緯二四度から二七度という亜熱帯圏に分布する五十四の代表的島嶼と、それに付属する無数の島々から成り、黒潮と台風コースに沿って南北に連なっている。 全島サンゴ礁の隆起地で、標高五百メートル以下の低平な島である。 この自然条件が、これらの島の生産を低いものにした。 まず島民は風と戦い、水の欠乏にも耐えなければならなかった。 酷熱下の労働にも骨身を惜しまず、地味の低い土地を耕しつづけてきた。 それでも出稼ぎ労働者の数を増さねばならず、移民、船員、漁夫などになって土地を離れるものも少なくなかった。 この生産の低さと民度の低さの上に、二重支配の形で加えられた貿易の圧力は、貿易というよりも搾取と呼ぷにふさわしかった。 これでは島民は貧困にならざるをえない。 しかし、その不幸な歴史は、島民の性格形成のために一つの贈物をしている。 それは勤勉で努力型の県民性を育てたことである。 一般的に熱帯圏の鳥嶼には、共通の怠惰な性格が認められるが、沖繩県にはそれがない。 そのうえ、明るい太陽のもとでの労働は、貧困のなかにも明るさを身につけるようになり、それは悲劇的な諦観と共存して、今日でもその特徴を県民性の中に見出すことが容易である。 この県の人の体型は、南海型日本人の代表で、骨ばって、筋骨賃、顔骨が出て低身、色は浅黒い。 赤外線が非常に強いので、眉毛が前に出てきて眼を保護するから眉隆起が高い。 顔の彫りが深くなり、肩が盛りあがって脂肪層が比較的簿くなる傾向がある。 女には美人が多いが、中年を過ぎると老廃現象がはやく訪れ、でこぼこ顔になる。 このでこぼこは暖地性日本人の特色でもあり、信州などの山地労働者にも多く見られる。 これらはみな環境に対する順応で、積雪地帯の東北人が晩年まで皮下脂肪が厚いのと同しような意味である。 京都を中心にして同心円状に遠くへ離れるほど毛深い。 ヒゲや胸毛の多い人が沖繩に多いのは、そのパターンに合致している。 暑いところなのに毛探いというのはちょっとおかしいが、これは大昔、日本人が毛深かったころの特徴がそのまま残っているのである。 3、徹底的な脱皮で繋栄を 沖繩県人の性格は温順で、理屈っぼさがない。 これは美点であると同時に、大きい成功を妨げている。 また一方では非常に情熱的だといわれるが、ひたむきな情感に持続性がやや欠けている。 劣等感が強いのは島嶼民の共通性だが、長い歴史的習慣から事大的であきらめがはやいのは、やはりこの県民の弱点だろう。 しかし、他国者にはきわめて親切で、評判がいい。 素朴で正直、陰にこもってじめじめしたところがないのが人々に好まれるいい面である。 戦争によって、沖繩はさらに貧困になり、人口も滅少した。 二十七年間の異民族支配は、一面近代化の波をもたらしたが、反面で依存性も高めてしまったように思える。 しかし、県民がつづけてきた本土復帰運動や基地反対運動にあらわれた結束と実行力は、将来の飛躍への大きな潜在能力を示すものである。この県の人は、東京のような都市に来て「触発現象」を起こし、持ち前の努きな潜在能力を示すものである。 この県の人は、東京のような都市に来て「触発現象」を起こし、持ち前の努力型を発揮すれば成功する可能性が大きいと思われる。 同郷意識が強くてよく結束するから、将来は北梅道と並んていちばん希望のもてる日本人のあらわれるところである。 ただし、北海道には同族異種の混血のよさがあり、沖繩は古代日本人のままで、優秀な二十一世紀人を生む要素をもっている。 本土復帰以来、沖縄にはまた大きな変化が押し寄せている。 名実ともに日本国の沖縄県である以上、その徹底的な脱皮と繁栄を心から期待してやまない次第である。 |