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1、国際都市・長崎の繁栄 “獅子の泣き唄よ 仏の前でョ 一つ歌えば供養になる 神に参らばご利生がござる それもそなたのご利生かな” 長崎民謡「獅子の泣き唄」は平戸付近の隠れキリシタンの反抗の歌といわれる。 民謡にもキリシタンがはいってくるほど、長崎は国際的なところである。 いまの「長崎節」にも、 “肥前長崎南京花火 新地支邪街ャ 石畳 泣き泣き焼豚おとむらいあ アラあちゃさん ピィソラ太鼓持ってドン” と中国風俗があるかと思うと、また、 “肥前長崎切支丹ばやり ヤソ宗にクロスは天主堂 寺前通りは坊主かぜ アラゼンシュマロ ソラナンマイダア” とキリスト教もはいっている。 とにかく江戸幕府の二百六十年間、唯一の異国文明流入の門戸として、また日本近代化の諸指導者留学の地として、だれ知らぬ者のないところである。 おくんち(宮日)、はた(凧)あげ、精霊船などの行事や、チャンボン、シッポク、カステラ、ドウハッセンなどの食べものは、みな異国文化の影響をうけている。 このような国際的文化の消化とそれに関連して繁栄した豊かさがもとになって、長崎の街は明るく、おっとりとしていて、人の気風も生活を楽しむところが著しい。 したがって、オランダや中国との貿易によって栄えた長崎の町の人々と、島嶋部や農村部にいる誠実ながらややたち遅れた人々との間には、少なからぬ格差がある。 キリスト教にしても、進歩的な前者によって支えられてはきたが、じつは五島あたりに残っている隠れキリシタンの礼拝様式の中に、非常に素朴で純粋な信仰をみることがてきるのである。 2、積極性に欠ける いまや長崎市は、古くからの造船所のほかに近代工業が興こり、昔ながらの異国情緒と近代性がうまくとけあい調和している。 原爆の悪夢も遠い思い出になろうとしているようだ。 広島は原爆を利用して観光資源にすら仕立てあげたような感があるが、長崎の人は誠実で政治性に乏しく、キリスト教の影響もあって、これを運命とあきらめてしまっているようである。 広島が“怒りの原爆反対”であるのに対して、ここは“祈りの長崎”である。 私たちはさまざまな異国情緒に幻惑されて、長崎県の抱える都市と地方の文化落差の著しさを見失いがちである。 また大成功者に乏しいこともよく考えてみなければならない問題である。 江戸時代、長崎では幕府から駐在させられた町奉行が警察権を握っていた。 しかし、行政権は市民の自治に任されており異国貿易の関税にあたる利益は、その三分の一が「箇所銀」とか「かまど銀」の名で、市民に公平に分与されていた。 実に珍しい制定である。 そのうえ「博多小女郎浪枕」の毛剃九右衛門のような抜け荷をやる者が多く、いわば不労所得の多い街であった。 船が港にはいり、港役人が行って積荷の量を検査するとき、反対側にこっそりハシケをつけてヤミ取引をするのが抜荷である。 「道ならずして金儲けする者を羨しく思う事いつとなく所の風俗なり」(「西遊雑記」)「人皆歓楽にして世を渡る」(『西遊記」)などと書かれたのも、みなこうした不労所得のせいだろう。 この気風が一部に定着したので、刻苦勉励して立身出世したり、富豪になったりする人が少ない。 いわば積極性に欠けるのである。 長崎には江戸時代に全国から人材が集まったが、その数は人口に比べてごくわずかであり、県民性を変えるような影響ば与えなかった。 むしろ長崎には中国文化の影響が強い。 長崎には中国寺院が多く、石畳も眼鏡橋もオランダ人がもって来たのではなく、中国のものである。 伊万里焼を世界に広めたのも中国人の功績で、そのために日本の焼き物はチャィナと呼ばれた。 他方、県下の農漁村は、農地も漁法も零細化して貧しい。 古くは松浦党と呼ばれた水軍の本拠地であり、中世には貿易商人から倭寇に転じたり、江戸時代には捕鯨と海運に活躍し上方と九州の輸送に大きな役割を果したが、なにぶんにもリアス式梅岸と島嶋は、米作地としての条件に欠け、生産は低かった。 この苦しい生活が、彼らにキリシタンの救いを信じさせる素地の一つになったと思われる。 しかも人情は純朴で誠実、それが一度信じたことを曲げない性格となって、キリシタン迫害の儀牲に耐えてきたのだろう。 壱岐、対馬をはじめ県内には百以上の島があるが、そこの人々はいまでも大部分がサツマイモを常食にしている。 民度が低いので若者はみな島を出て行き、老人はいまだに江戸時代のような搬装をしている。 出島や礼拝堂の近代性とはまったくうらはらの古代性が残っていることを見落としてはならないと思う。 県民の性格は、開放的で善良、やや打算を無視する親切さがある。 しかし、同県人としての結束が弱く、他を押しのけても出世するという気がない。 たしかに美徳ではあるのだが、そのために大成せずに終わる人が多いのは事実である。 体型には、古く海洋族として『風土記』などに書かれた東南アジア型のものと、南鮮を通じてはいった満鮮型のものとの混血が多く、色浅黒く、骨張って、肩上り、眉隆起高く、顔の彫りのあざやかな人が多い。 昔はこのタイプを美人とは思わなかったようだが、今日では近代的な美人として評価されている。 これからの長崎県は、過疎を防ぎ、農漁村部の民度を高めることが最大の課題だろう。 |