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1、古くからの西の関門 遠賀川の恵みをうけてきた筑前国、筑後川に養われてきた筑後国を中心にして、東に豊前国の大部分を合わせていまの福岡県が成り立っている。 筑前、筑後、豊前の人々は互いに相手を馬鹿にし、少しずっ差別感をもっている。 しかしこれは福岡県にかぎったことではなく、九州地方全体にそうした傾向が多くみられる。 さらに古くは筑紫国で、九州全体の鎮守府である太宰府が置かれ、律令制社会における九州総督府の所在地であった。 それだけはやくひらけ、政治、軍事、外交の重要な西の関門の役割りを果してきたのである。 いわゆる『魏志倭人伝』の耶馬台国の所在地に指定され、女王卑弥呼の本拠ともいわれる遠賀川流域は、紀元前数世紀以来の弥生文化の中心で、日本最古の稲作農村地帯としても有名である。 「委奴国王」の金印が発見されたのも福岡市、そして最近、宗像神社のおきつ宮(沖ノ島)から四、五世紀から八世紀ごろの豪奢な奉納品が発見され、中央政府の信仰がさかんだったことが実証された。 宗像神社は海上交通の守護神である。 遣惰使や遣唐使も昔の福岡から出発したし、元寇もこの県の海岸に押し寄せてきた。 戦国時代の末には、博多港ははやくも日本三津の一という位置を占め、富裕な貿易商人の手で自治的に栄えていった。 こう考えてくると、まさにその栄光は過去に輝かしい。 江戸時代にはいっても、江戸っ子に負けまいとする博多っ子の意地があったし、「大竹割って褌にかく」といった反骨精神を誇りにした。 この意地は今日でも生きていて、博多っ子の気風に残っている。 福岡市の駅名が博多駅というのも珍しいことである。 県庁所在地の名をつけた国鉄駅がないのは日本でもここだけだろう。 つまり城のある侍町が福岡、城下の町人町が博多で、後者が市内の中心をなしてきたので二つの名前が共存している。 これも江戸時代における町人の武士に対する抵抗意識に始まるものだろう。 2、色は黒いが血は赤い 今日、北九州市から福岡市にかけては、京浜、阪神につぐ大工業地帯になり、人口の一大集結地の観がある。 炭鉱がふるわなくなっても人の移動は多く、古くからの土着者の数は相対的に滅少している。 しかし、それでも明朗で解放的、じめじめしたところのない独特の気風がつづいている。 福岡の人間は「惚れやすくて飽きやすい」といわれるが、たしかにそんな弱点がある。 そのかわり「色は黒いが血は赤い」と情熱的な特色を誇っている。 このような土地には爆発的な祭礼が行なわれることが多いが、ここでも山車を曳いて気勢をあげる夏の祇園祭りや、小倉の祇園太鼓などがさかんである。 ただし、福岡県人は県内で、博多はいいが小倉を中心にした豊前はだめだとか、久留米は低いとか差別をするだけてなく、自分たちが九州におけるトヅプだという意識を強くもって他県を差別する風がある。 よくいえば誇りと自覚がある証拠だが、実際にはそんな自意識が禍していつも損をしているようだ。 この県の人は躁欝賃の代表のようである。 江戸時代でも明治時代でも、いつも中央に対するコンプレックスが多く、それが一種の事大主義をつくり、他方で郷党的団結性を強めていった。 明治以後、東京に遊学する青年の数が非常に多かったのもそのあらわれだが、郷土文化の特色ある発達はもう見られななくなった。 「北九州文学会」などの運動は、むしろ特異な存在である。 北九州の文学者といえば、火野葦平の名を忘れることはできない。 彼はこの地域性を代表する典型的な性格で、狭義心に富み、抱擁力があって、多くの人々に愛された。 地元で評判のいい文士というのは珍しいものだが、彼は文学青年はむろん、沖仲仕たちにも人気があった。 同じ福岡県でも、筑前と筑後ではやや気風が異なる。 旧藩時代の対立意識も残っているにはちがいないが、お互いにあまりよくいわない。 部外者にはよくわからないが、筑後人は排他的でがめつく、筑前人は壮語に似ず打算的だそうである。 しかし私のみたところでは、全体的に排他性は少なく、素朴で進取的、郷党の先輩をよく立て、英雄崇拝的なところがある。 ただ、案外挫けやすく、進取性の裏に意外に強い保守性もみられる。 また、筑豊炭田地帯は、古くからの「川筋気質」で有名である。 元来、川筋の地域というものはどこでもはやくひらける。 だいたいにおいて川は物資輸送の通路であるから、保守的な農民とはちがった進歩的、行動的な人があらわれるものである。 ことに筑豊では気っぷのよさや信用が尊ばれ、強気で義理人情に厚い任侠の気質が育った。 石炭産業がすっかり退転しても、その気風はまだ残っているようである。 しかし、それが悪くあらわれると、虚栄心ばかり強くて、見せかけの英雄を気取る危険がある。 太っ腹てあることを他人に見せたがるが、本心はそうでない場合が多い。 3、爆発するエネルギー “一度は気やすめ二度はうそ 三度のよもやにひかされて 浮気男の常として女房にするとは酒落かいな” 室町時代から行なわれている「松ばやし」が「博多ドンタク節」となり、毎年四月三十日と五月一日には町をあげて巨大なエネルギーを爆発させる。 この年中行事を見ると、あらためて県民性の一面を思い知らされるような気がする。 ドンタクとはオランダ語で休日を意味するゾンタークが訛ったものである。 「博多子守唄」にはつぎのような一節がある。 “うちの御寮さんな がらがら柿よ 見かけゃよけれど 渋ござる うちの御寮さんの 行儀の悪さ おひつ踏んまえ 棚さがし” じめじめした哀調を帯びた子守唄が多い中で、これはなんとも明るいユーモラスな雰囲気をもっている。 福岡県民の育てた明るさのあらわれだろう。 “九州人”というイメージは、この福岡と鹿児島の県民性を平均したものと考えていいと思われる。 ともに明るく陽性で実行力があるが、我が強い。 協調性がなく、乱暴だという印象を与える場合も少なくない。 しかし、こういう人たちと、岩手県の北部あたりの人々を比べてみると、人種がちがうのではないかと思うほど、同じ日本人でありながら異質の性格をもっているのに鷲かされる。 同じ日本語をしやべり、顔も似ているからともに日本人にまちがいないが、気性だけを比較したら、アメリカ・インディアンとエスキモーの間ぐらい違っているのではないだろうか。 |