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1、月賦飯売業者の輩出 昔はどの国でも、都に近いほうを道前、都から遠いほうを道後といった。 いまでは伊予国の道後だけが地名に残り、しかも松山市の温泉街だけのものとなった。 道後温泉は日本最古の温泉であり、しかも共同浴場の形を現代に残しているので有名である。 最近は湯量が少なくなり先行きが心配されていたが、奥道後のボーリングに成功し、豊富な湯脈を掘り当てたので、観光地としての再建が期待されている。 古代から「伊予道後の湯」は畿内に知られ、天皇や聖徳太子などの入浴もあって、国府が置かれていた道前(いまの東予)をとび越えて松山付近に文化が集中し、弥生式土器や青銅器の発見もある。 松山には加藤、久松の大藩があり、商業を奨励し文化政策を振興したので、明治以後も多数の学者、文人、軍人などがここから出ている。 人の気風は、道前は香川県と同様に大阪的で、気がきいて、こざかしく、利にさとい。 しかし、杜交的なずるさは少ないので誠実味があり、中小企業、メリヤス業、タオル製造業などに成功者を出している。 なかでも月賦販売業に成功した人が多いのは、この地方の一大特色である。 緑屋、丸井をはじめ日本の月賦販売業者の九割近くがこの県の出身である。 これを海賊の余技から発達したものだといったら抗議を受けるかもしれないが、それはけっして非難のことばではない。 昔、藤原純友が日振島で兵をあげたとき、今治沖の大三島にある大山祇神社を氏神とする水軍がこれにつき従った。 それが伊予水軍の起こりで、純友が失脚したのち、彼らは分散して内海に戻り、海関(海の関所)をつくって沖を通る船から税を取った。 税を支払えない者に対しては海賊に変わるのである。 船も心得たもので、水軍が押しかけてくると用意した品を投げ与えて海関を通り抜けて行った。 やがてこれに村上水軍も帰属し、源平の戦に巻き込まれて最後には源氏につき、平家を孤立させたことは前に記したとおりである。 文永・弘安の元寇の役のときも九州に出て戦ったりしたが、のちに海外貿易に手をつけ、日本の漆器や刀剣、扇などを持って行っては、中国・朝鮮から骨董品や薬品を輸入してきた。 しかし、この商談には刀による威嚇がつきもので、ついには手ぶらで行って物を奪ってくる“八幡船”になり、倭寇として恐れられた。 しかし倭寇の八割以上は中国人の海賊であり、日本人は大将だけである。 それが八幡大菩薩権現の旗をかかげていたので、まるで日本人の海外侵略のようにいわれている。 貿易船は倭寇に変わったが、やがて平和になると、島から島へと品物を持って船でめぐり、信用販売をするようになった。 クレジヅト販売の誕生である。 伊予の人を見ればわかるように、とても昔は海賊だったとは思えないほど善良で正直である。 月賦販売というものは、客も商人もともに誠実でなければ成り立たない。 要するにこの地域は、沿岸水産物には恵まれているが、地形の複雑な島々が多く、農地が少ないので、勢い沿岸行商や運送業に活路を見出すことになるのである。 東予の人の性格は、正直、恬淡として親切だが、悪くいえば激しやすくさめやすい。 そして善悪両方に強いのが特徴である。 2、「伊予のかけ出し」 これに対して中予(松由付近)は代表的な躁欝質地帯で、社交的で明るく、知的水準が高くて文化的なものへのあこがれが強い。 教有がさかんなのは、明治以後の成功者の刺激が強いからだろう。 南予は、日本でもいちばん“古代的”な日本人が残っているところである。 民度は低く貧困だが、性格はもっとも誠実、素朴、情熱的で人情に厚い。 土地での成功者はまれだが、県外では成功し、しかも郷党のために報恩する美風がある。 ことに段々畑のある宇和島付近には善人が多い。 段々畑に注ぎ込まれたエネルギーはすぱらしいもので、見る人の心を打つ。 ただし、「伊予のかけだし」ということばがあるように、半分聞いただけで興奮して走り出すが、どちらへ向かっていいかわからないというあわて者が多い。 すべての人があわて者ではないがその傾向があることは否めない。 また、中予、南予を通じて、やや投機的なところがあり、執念深さが少ないのが欠点である。 この県も古くから干害に悩まされてきた。 そのうえ、沖積層が少ないので水田農業には限界があった。 したがって農耕文化の開発は遅れている。 考古学上では銅鐸文化圏に囲まれながら、ここだけ銅鐸が発見されていないのもこれと関係があるらしい。 つまり、古代文化からいえばここは空白に近いほど貧弱な県であった。 古照遣跡が発見され、弥生後期の遣品が出たと大騒ぎをしている。 これは愛媛県にも農耕社会があったことの証明にはなったが、とくにこの地域の古代文化が全国的に見てさかんであったという意味ではない。 したがって、海面産業以外には、手工業と商業が伸びた。 和紙、綿、木綿、鑞、果実、木材と海産物系の産業がいまでもこの県の重要産業になっている。 最近の道路の整備、フェリーボートの発達、奥道後温泉の開発、それに南予海岸と海底の南国的生物群は、新しい観光資源として脚光を浴びている。 美しい海、美しい人情、石槌山や面河渓の風光など、たしかに現代生活に疲れた人々を慰さめるに十分であることを私もかけ値なしに認める。 しかし、同時に驚くばかりの段々畑の構築や風害の中で生きる知恵など、先人の努力を学ぶこともたいせつだろう。 県人の構成は、中予・東予は典型的な内海型で、筋肉質、楕円形の整った顔だちで、ことに松山付近には美人が多い。 それは山口県から朝鮮系の血がはいっていることに関係があるかもしれない。 南予は代表的南海型で、南九州や高知に似て筋骨質、やや骨ぱって色黒く、男は精桿な感じがする。 男女とも顔の彫りがやや深いので、若い婦人には美人が多いが、中年をすぎると色素沈積の早いのも特色である。 俳句の中村草田男、近鉄社長佐伯勇、作家の大江健三郎など、県外に出た人には逸材が多い。 |