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1、商業的・合理的 この県は古くは阿波国と呼ばれた。 千葉県の費ズ安房の国は、阿波国の斎部氏が移民して新たな国を造ったからそう命名されたといわれる。 いわば千葉県のもとが徳島県で、徳島の海洋部族が東に漂流し、定着したらしい。 これは正確な史実のようで、両地方の人の体型はいまでも類似しているし、地名や方言にも共通のものがある。 アワの国のアワは、奈良時代に出た“地名二字表記の命”によったもので、もとの意味は粟である。 神話では少彦名神が、この国の粟にのぼってはじかれ、伊予国に飛んて行ったことになっている。 粟は米以前の日本の古い作物だから、この国の開拓の古さを投影した話のように思える。 しかし、なんといっても阿波の名を一般的にしているのは「阿波踊り」である。 “踊りおどらばしなよく踊れ 品のよいのを妻に持て 阿波はよいとこ蜂須賀様の御威勢踊りに立つ浮名” この「何波踊り」では、とくに、「踊るアホウに見るアホウ、同じアホウなら踊らにゃ損々」という文句が有名である。 この「踊らにや損々」の一語に、徳島県民性の一部が象徴されている。 藍玉を媒体に、大阪の郊外としてはやくから商業化した農村をもつこの県の人々は、大阪と同じように、物の価値評価を“損と得”で決める習慣をもった。 煙草も木綿も、行商によって他県へ運ばれたし、上方の大資本の買い付けをとおして売りさばかれたので、商行為は都市のみでなく農村にも深くしみっいたのである。 そのためにこの県の人には大阪人と同じようながめつさがある。 むしろ、“植民都市”大阪の構成者にこの県の出身者が多かったといったほうがよい。 阿波で生まれた人形浄瑠璃が大阪で流行したのも、この県と大阪が一つの経済圏にあり、人間の交流がさかんに行なわれて、性格的にも共通の基盤をもっていたからだろう。 大阪であげた美点と欠点は、この県でも同じように認められる。 大阪には「阿波屋」という屋号が多い。 ことに廻船間屋や船に関する業者に代々「阿波屋」を名のるものが多く、古くから大阪との間に海上交通が行なわれたことがわかる。 この県の人は、商業的、合理的である反面、努力を積みあげて成功する美点があり、“北朝正統論”を唱えて文部省の局長を辞めさせられた歴史家の喜田貞吉や、世界的な人類学者鳥居龍蔵のような学究的成功をおさめた人も少なくない。 ところが、県民の総力を結集して大事業をしたり、大きな企業体をつくりあげることは不得手である。 廻船間屋やソバ屋の主人などになって個人的には成功するが、財閥をつくるには至らない。 これは非常にエゴイズムが強いからである。 そのかわり、がめつくて努力型であるから失敗者の数も少ない。 2、昔から民度は高い この県は吉野川の流域を中心に発達した。 南北には山が横たわり、香川や高知との間は交通の便がよくないが、東は大阪湾に口をひらいて交通が便利である。 すぐ南を流れる黒潮に乗って、熊野経由で東海道から房総半島に到着できる。 河岸平野にははやくから農業がひらけ、弥生文化が栄えて銅鐸などがたくさん発見されている。 これに対して、山地には隔絶村落が残って素朴な気風が生きている。 したがって、大阪に顔を向けている海岸部は非常に近代的だが、吉野川の上流に行くと平家落人部落の祖谷に代表されるような四国山岳地帯型ともいうべき異なった体型の人がいる。 頑固だが純情、親切な人が多いが、こういうところからは一般的にいって成功者は出ないものである。 この地方で「デコまわし」と呼ばれる人形浄璃瑠がさかんになったのは、対岸の兵庫県西宮にある恵比寿神社の信仰がもとである。 恵比寿神杜は農業をやらず海に生活の資を求める人々の信仰の中心で、そこから、恵比寿大黒の泥人形を両手にはめ、指で人形の手足を動かし、セリフをうたいながら興行する傀儡師が発生した。 傀儡師は京阪から九州まで投げ銭をもらいながら巡業したが、それが淡路島や徳島に定着して、ストーリーをもった浄瑠璃物語にあわせて人形を使うようになったのである。 “農民芸術”などというと、むしろ農閑期の長い、寒い地方に発達しそうに思えるが、じつは徳鳥のように藍玉を専売品のように大阪や関東に売り出し、多額の現金収入を得られる地方に根を下ろすようである。 藍玉売りは高収入だが重労働であり、しかも季節性があるので、民間娯楽をさかんにし、伝承を今日まで維持する基礎をつくったのだろう。 この県の民度は愛媛県や高知県に比してはるかに高く、古い国分寺の遣跡を掘っても、出てくる遣物ば近畿地方のものと変わらない。 3、敵をつくちぬガメツサ 何波国には、天正年間(1573〜91)に蜂須賀家政がはいり、維新までここを冶めた。 入国当時は吉野川の下流にしか水田がなく、貧弱な藩であった。 ことに日でりがあると大きな被害を受けるので、雨には非常な関心があったようである。 要するに「阿波踊り」は念仏踊りから出たものだが、その目的は「雨乞い」にあった。 大集団で塵埃と騒音をあげ、気が狂ったように踊りつづけるのは、空に塵埃を飛ばし気圧を変えて実際に雨を降らせるためであった。 何万という大群が、あとからあとから怒濤のように寄せては踊り狂うありさまは、全国無比の壮観である。 爆発的な狂暴なエネルギーが渦巻き、これを見て圧倒されない人はいない。 この県の人が内にひそめている驚くべきエネルギーを見る思いである。 もし、阿波踊りのエネルギーがそのまま東京の産業界に持ち込まれたら、たちまちのうちにひっかきまわされ、主導権を徳島の人に奪われるはずだが、実際はそうはいかない。 阿波踊りのグループは「何々連」という名のとに強く結束するが、外に出るとパラパラになり、足のひっばりあいが起こるからである。 ふだんは静止していてある時期にエネルギーがいっきょに爆発するという例は、京都の祇園祭にもあるが、これも個人意識が強い都市型人間のせいである。 つまり、徳島県の場合は、その民度の高さが逆に禍して、都市型に近く、中途半端な近代性になって県民の結束を崩すのである。 長野県、鹿児鳥県、沖縄県などに非常な結束力があるのは、民度が非常に低く、個人の努力だけでは生きて行けないという意識が強いためだろう。 徳島の人には実行力がある。 しつこく、がめつく、ねぱり強く、一つの目的に向かって努力を借しまない。 神経質にものを考える前に、打算と合理性で行なった判断に直進する。 スタイリストではなく、すべてが実用的である。 大阪人と同様、それがあまり素朴にあらわれるので、相当ながめつさでも影がなく、かえって無邪気に見えて他人の共感を得ることになる。 そして、一方では情に厚く、親切なところがあるので、敵をつくることが少ない。 体型は内海型に海洋型がはいっていて、色の黒い、毛の縮れた人もあり、額の出た骨ばった人も少なくない。 美人は山地を除いてあまり見られないといわれる。 政治家三木武夫、女流作家瀬戸内晴美はともにこの県出身。 日本一の貯金県といわれるだけあって工藤昭四郎、堀江薫雄という銀行マンを出している。 |