島根県




1、内向的で社交下手

 この県は、出雲の国、石見国、隠岐の国から成る。

 石見国は西にあって、廻船と漁業、津和野の銀・銅、濱田の商業で有名であった。

 出雲国は平野部が米と木綿、山間部が紙、鑞、鉄、木炭の産地として知られてきた。

 しかし、米を除けばこれらの名産はすべて過去のものとなっている。

 この県の経済面の変化は著しい。

 神話に象徴され、古墳などで実証される古代文化の国・出雲は、わずかに出雲大社やその他の神社におもかげをとどめるだけで、いまや日ごとに近代化を進めつつある。

 日本海も宍道湖の水も、いつも鉛色をしている。

 この県も鳥取県と同様、山陰の代表的な陰気な県である。

 古くは積雪地としても知られた。

 鳥取県よりはましだが、年間に快晴の日が一日もないくらい曇天が多く、その暗さが性格をつくりあげて、内向的な人や、社交下手な人が多い。

 全体的な特徴は弱気で、分裂質の人が少なくない。

 しかし、まれに強引で自己本位、がめつさの目だつ人もいる。

 「関の五本松」は大正八、九年ごろ、大阪から東京に流行して全国的に有名になった。

 この関は島根半島の先端にある美保の関のことで、境港に船がはいるとき、美保の関の松が目標だったので、漁師や船頭が歌ったのがはじめである。

 北前廻船は山形の酒田を出て、新潟に寄り、下関に向かうので、美保の関の対岸にある鳥取県境港はだいじな寄港地であり、避難港であった。

 美保の関は日本海に浮かぶ隠岐の島へ渡る港であり、境港との間には連絡船もある。

 出雲大杜の参拝で知られる前から、日本海の良港として、船乗りによって有名になったところである。

 「関の五本松」には

 “関で女郎見て 内のかか見れば 三里奥山 古だぬき”

 といった馬鹿馬鹿しいものや、

 “関が曇れば大社が晴れて 関の松江で千鳥鳴く”

 と名所を詠みこんだのもあるが、だいたいは色っぽいものが多い。

 “関の女郎衆は医者よりえらい 縞の財布の脈をとる”

 “こよい一夜はお神楽あげて あすは出船の帆をあげる”

 といった調子で、ここが古く温泉の地として栄えたことがわかる。

 いまでは、玉造や皆生などの温泉が、大社参りの人々で賑わっている。

 また、美保の関は事代主神と美保津姫のロマンスが神話に出てくるくらい古いところである。

 高天原の天孫族が出雲の神々に国譲りを求めたとき、大国主命は子どもの事代主と相談しなければ決められないと答えた。

 事代主は天照大神がつかわした建御雷神と力競べをし、勝ったもののいうとおりにしようと提案するが、自合が負けて、いまの大社の下にある美保神社に隠居する。

 大国主も高さ三十六丈という天日隅宮を建ててもらって支配権を譲り、隠居するのだが、これが出雲大社の起こりである。

2、安来節と大社信仰

 「関の五本松」と並んでこの県を代表する民謡は「安来節」である。

 これは百六十年ほど前に大塚道仙という医者が作った船唄から変わってきたものだという。

 これも大正年間に全国を風靡した。

 “安来千軒 名の出たところ 社日桜に十神山”

 その入節として、

 “十神山から沖見れば いずくの船かは知らねども

 滑車の下まて帆を巻いて 鉄積んで上のぼる”

というのがある。

 いまでは「滑車の下まで」を「三味の糸ほど」と誤って唄っているが、これは出雲国が有名な砂鉄の産地であったことを物語っている。

 そういえば、安来節に伴う「どじょうすくい」の道化踊りを、砂鉄の「とゆ流し」に附会して「土壌すくい」だという説もある。

 あてにはならないが、それほど砂鉄と大社と温泉が有名だったのである。

 いうまでもなく、出雲国は古来の出雲族の本拠である。

 出雲族とは、出雲系神話の神々を信仰する集団のことで、けっして異人種のことではない。

 これは人類学的に明白なのだが、よく誤解される。

 同じ日本人種の中の、この信仰をもつ集団がはやく全国の農業開拓を行なった。

 出雲神話の八岐大蛇も、稲田を犯す自然の破壊のことであり、それを平定するスサノオは農業保護神、その系統の大国主は開拓神になっている。

 いまの鳥根県人に、出雲族という意識はひとつもない。

 しかし、神話に神武天皇が出雲系の妃を得たと伝えられているように、大和王朝も出雲族との合体なくして成立しなかった。

 出雲族は非常に大きな勢力をもった日本の先住開拓者なのである。

 これははるか昔に消滅して県民性に影警を与えることはなかったが、大社信仰は出雲国を門前町的に発展させ、他国者には温和に見えながら、依頼心が強くて人を利用する気風が著しい。

3、独立自尊

 石見国は山口県に近いためか分裂質が多く、ごうまんだが積極的な人が多い。

 森鴎外などもその一人だろう。

 出雲に比べて、石見は独立自尊的である。

 非常に保守的でありながら、触発によって開放的な人があらわれる。

 平田篤胤の弟子大国隆正も石見の人だ。

 彼をはじめその功罪は別として、明治維新の推進に石見出身者はさまざまな役割りを果たしている。

 ただ、ふしぎなのは、この県が日本でいちばん自殺者が多いことである。

 社会経済的理由を別として、あるいは気が弱くて悲観的なためか、または反対に気が強くて反抗的なためか、さらには潜在するヒステリックな気性のせいか。

 にわかには決めがたいが、いずれにせよ陰欝な山陰の地方性に影響されていることは事実のようである。

 また、「狐つき」の民俗が島根県に多いことを指摘する学者がいる。

 これは東北地方、近江地方、伊予地方などにも見られる神がかりの一種だが、とくにこの地方に狐つきが多いということは、教義や哲学観をもった信仰が普及する以前の、低次元の精神現象が停滞していることをあらわしている。

 この県には、朝鮮の影響を強くうけている人が少なくない。

 細身高身て、美人が多いのも朝鮮との混血がもたらした結果だろう。

 島根県が今日直面している最大の課題は、日本一の過疎化傾向をたどっていることである。