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1、名産の茶ば明治以後 “駿河路や花橘に茶の匂い” 芭蕉 元禄のころ、すでに茶とミカンがつくられていたことを示す句である。 しかし「一富士、二鷹、三なすび……」の“駿河名物”には、たばこと綿がはいっているだけて、ミカンも茶も出てこない。 つまり、江戸初期には茶などはそれほどたいせつな物産ではなかった。 明治にはいってから、士族授産と川越人足救済のために茶畑が開発され、清水港の開港とあいまって静岡の茶を有名にしたのである。 したがって、この県の茶摘唄には、 “難れて暮らすも国のため”とか、 “積んで送れよ亜米利加へ”などと明治調のものが多い。 新しい民謡といえば、伊豆の温泉郷はみなそれをもっている。 なかても「伊東節」はおもしろい。 “伊東よいとこ東の沖で 網を曳くたび千両箱あがる 夢じやないかとかかめをつねりや ととよ何する昼じゃぞえ” この文句にあるように、漁業もかっては代表的産業であった。 伊豆半島の西斜面は南海型の影響が強く、いまも南海型の人々が港々に残っている。 しかし、江川太郎左衛門が韮山代官になり、伊豆一円を天領として押えたので、農民が山にもはいれなくなり、やむをえず漁業に追いやられた人々も少なくない。 生鮮食品は江戸時代には長距離輸送ができなかったので、現金収入が少なく民度は低かった。 2、同じ県でも人情の違い 伊豆、駿河、遠江の三国の人情は相当ちがっている。 性格の明るさと積極性では駿河、伊豆の順。 民度の高さでは駿河、遠江、伊豆の順。 人間のよさでは伊豆、駿河、遠江の順である。 ずるさといえば語弊があるが、遠江にはいうことと思っていることが違っている人が多く、あまり信用できないという欠点がある。 これは名古屋に近いせいだろう。 要するに、遠江は開放的で社交性があり、工夫や発明に長じ、合理的な考え方をもっている人が多い。 なかなか実利に明るく、努力型の人も多いが、お互いに足をひっぱりあって損をすることがある。 駿河は東海型と中部山地型と合わさったような性格で、ねっちりと辛抱強く一つのことをやりとげる人と、移り気な人が混っている。 知的な努力家で、山地型のロマンチックな雰囲気をもっている人も少なくないが、なぜか他国ではあまり評判がよくない。 それは駿河の気風に案外自意識が強いところがあり、理屈っぽいせいかもしれない。 伊豆はいちぱん生産が低いところで、山国のため人口も少なかった。 主として天城山林の付帯産業と漁業が中心であったせいか、質実でマジメな人が多い。 しかし、思いのほか消極的で内向的な人が多く、対人関係においてしばしば不利な立場に追いやられることがある。 明治維新のあと、各藩は県にかわり、諸大名は県令(知事)になったが、静岡県にはいってきたのは大政 奉還をした徳用慶喜であった。 静岡が徳川家の本拠地であったからである。 多くの旗本や御家人が一般の町人になることを嫌って慶喜に従ったので、県内ではこの連中を養いきれず、西は遠江から東は伊豆まで、千石取りの旗本を百石というように禄を約十分の一に減じて分置した。 彼らは苦しい生活をつづけながら土着したが、版籍奉還後は生計の道を失い、狭山茶をここに移して細々と暮らすことになった。 したがって、古くからの気風に一つの転機が訪れ、県民性にも少なからぬ影響を与えた。 一見温和で社交的に見えながら、じつは理屈っぽく反抗的な一面をもつという性格は、明治初年の苦しい経済生活と薩長の新政府に対する反感によるものではないだろうか。 街道一の大親分・清水次郎長が有名だが、この人柄は浪花節や講談によってたいへん誤解されている。 次郎長にかぎらず、東海道の宿場にはみな親分衆がいた。 民衆は自衛の知恵としてそのような存在を許したが、彼らは賭博のテラ銭を取ったり、繩張り争いをくり返しているやくざ者にすぎなかった。 次郎長の本職は宿屋のおやじで、一方では博突もやっていた。 それがたまたま徳川慶喜に認められたので、いちやく有名になってしまったのである。 晩年の次郎長はなかなかの人格者だったようで、茶の栽培を奨励して失業武士の授産事業に貢献している。 やはり弱きを助けという気持ちがあったのだろうか。 茶は輸出産業になってから企業的にも大成功し、当時、日本銀行の地方支店では静岡支店がいちばんたくさんの金額を扱ったという。 しかし、この好況の中で土着の農民と新渡来の農民(旧士族)との反目が激しくなり、ずるさやエゴイズムをつくった。 いまでも縁談の際に、うちは土着だがあの家は江戸から来たなどといって差別をする人がいるという。 3、他人を利用する傾向 熱海温泉が開けたのは新しいことである。 箱根は東海道にあるために早く他人を利用する湯治場になったが、熱海は徳川家光が一度行って有名になったものの、本格的に開け出したのは東海道線開通の明治二十二年(1889)に小田原から人車鉄道という人が押すトロッコがてきてからのことてある。 たちまち観光地となって伊豆の労働力を吸収したので、熱海の旅館経営者には伊豆出身の人が多い。 東海道も、いまのように新幹線で素通りするようになると、交通機関がかえって文化や産業の通過地帯をつくってしまうが、昔は一歩一歩自分の足て旅行したので、街道の宿場はむろんのこと、近憐の諸村までその恩恵をうけて経済的にうるおった。 したがって、旅行者に依存して生活する者が次第に多くなる。 とにかくこの県は箱根から浜名湖まで、フルに東海道が通っているので、その影響を強く受けた。 その結果、サービス業者の通性である依存性をつくり、いまでも他人を利用する傾向が少なくない。 体型は代表的な東海型で、椿円顔、色やや黒く、胴長短脚、毛はあまり濃くない。 富士山の見えるところには、木花咲夜姫(富士の山の神)の嫉妬のために美人が生まれないというが、このいい伝えはあまり信用できない。 その証拠に、この県には中部山地や九州で見られるような不美人は少なく、割に整った美人がいる。 少々肥り気味なのは東海型の特色だろう。 日本画家中村岳陵は伊豆下田の生まれ、作家井上靖のふるさとは湯ケ島である。 人権擁護の神様と云われた弁護士海野晋吉、講談社社長の野間省一はともに静岡市、作家で日本ペンクラブの会長をつとめた芹澤光次郎は招津市の出身である。 伊豆の温泉を中心とするサーピス業は、レジャー時代の波に乗ってはいるが、浜名潮を中心方する養殖業、木工業、楽器製造業などはいちばん時代の波の影響をうけやすい不安定な産業である。 製紙、化学工業、機械工業などが最近さかんになってきたが、これは公害間題で有名になり、前途は多難である。 しかし、あらゆる種類の産業をもっていることは、近代化を遂げるのに十分な可能性を暗示している。 豊かな将来を想像できる県の一つである。 |