長野県




1、山深く地味低い信州

 “三里笹山 二里松林

 嫁ごよく来た 五里の道

 山と山との間に住めば

 ほかに木(気)はない松(待つ)ばかり

 「木曾節」の中に色っぽい文句を求めてもせいぜいこの程度で、いかに信州とは山深く、人間の少ない土地であったかを思わせる。

 しかし歴史的には、その繁栄は石器時代からで、『万葉集』にも「信濃路は今の治道(開墾地)」と歌われ、善光寺などの古い社寺も多い。

 だがなにぶんにも中部山地にあって交通不便、必ずしも生産豊かでなく、生活条件は乏しくきびしかった。

 ソバがよくできるところはいったいに地味が低いが、ここではソバが第一の名産であり、山菜、蜂の子をはじめ昆虫類をたくみに食用にしてきた。

 要するに生活水準が低かったことを示しているのである。

 この県には、いまも二県に分断しようという運動がある。

 もとは信濃一国だったが、松本地域と長野地域が一つ県てばおかしいという説にはうなずける点が多い。

 そしてさらに伊那渓谷、佐久渓谷、佐久平、善光寺平、松本平などがさまざまな地域性をもっている。

 西南のほうは東海道に目を開き、天龍川の渓谷に浴って文化を摂取してきたので、飯田の町並は京都的なところがあり、方言は東海道的である。

 それに対して、江戸との間は上州と甲州に隔てられているために、封鎖的で忍耐力が強い。

 塩などの生活物資の交流をみると、信濃川沿い甲州街道、天龍用沿いの三ルートがあり、これが同じ県内の文化、気質、体型などに徴妙な差をつくつているようてある。

2、教育熱心で理屈好き

 東海道も北陸道も通っていない長野は、いわば疎外県で、明治以後その立ち遅れを取り戻し、なんとか新時代に対応しようという努力が熱心な子弟教育になってあらわれた。

 もともと江戸時代から寺子屋教育がさかんだったが、その後も私立学校が数多く設立され、いまも教育熱心て知的水準が高い。

 この県の青年は、哲学書をはじめ理屈っぽい読書が大好きで、岩波書店の大得意先といわれ、長野県は日本てもっとも多くの学者や文化人を出しているところでもある。

 その原因を長い冬の間のいろり談義に求める人もいるが、これは俗説である。

 それが正しければ、もっといろりばたにいる時間の長い裏日本の積雪地帯は、哲学者の巣になってしまうだろう。

 明治以来、座談会が名物の一つであったことは事実だが、ほんとうは関東奥地の躁欝質とこの県特有の分裂質が、この生産の低いきびしい自然の中で接触し、勝気で合理的、理想主義的で独善的な性格をつくりあげたのである。

 たしかにこの県の人は理屈っぽい。

 筋を通すといって、どうてもよいことまで理屈をこねたがるところがある。

 それが往々にして現実を難れ、空転しても気がつがないので、他の地方の人から誤解をうけ、嫌われることが多い。

 しかし、ほんとうは悪人ではなく、適応性がないために起こるのである。

 一方的で形式主義が好きなことも理屈っぽい原因である。

 しかも一種のコンプレヅクスをもっている人が多く、これが不満型になるかと思うと孤独型にもなり、その裏返しとして自己顕示型にもなってあらわれるのである。

 また、いたってマジメで誠実、そして独創的な人も多い。

 これが教育者となって後進を指導し、その個性をたくみに引き出すと、すぐれた人物を育てる。

 海辺は一年を通じてあまり景色が変わらないが、山が身近かにあると季節感の変化が激しいのて鋭い感受性をつくり、それがロマンチストや詩人を生む。

3、個性的な人材輩出

 この県出身の人物はあまりにも多く、それぞれが個性的で特異な人が多い。

 佐久間象山、小林一茶、松井須磨子、島崎藤村、吉田嵩松、臼井吉見、窪田空穂、木下尚江、島木赤彦、太田水穂、菱田春草、岩波茂雄、今井邦子とと数えていくと、みな一人ずつ違っている。

 長野県出身者のよさは全部類型がないことである。

 これはさきに述ぺたように地域が分断されているからだが、それにしては県人がよく結束し、相互扶助もさかんである。

 これが後進を励まし、よく指導して、成功者を多く出すもとになった。

 大いに学ぶべき点であろう。

 しいて共通点をさがせば、キマジメでユーモアに乏しく、非常にねばり強いがやや暗いということである。

 風土と社会の影響といえよう。

 藤村と岩波茂雄にはまったく類似性はないが、ともに県東部の出身であることはうなずける。

 より解放的な西部からもっと学者や文学者が出てもよいのではないだろうか。

 現在、学歴や杜会的地位を拒否しながら、学界、芸術界、実業界に独自の道を開いているすぐれた人物も少なくない。

 しかし、このよき伝統も、最近は若い世代から崩れはじめているらしい。

 まじめな書籍の売れ行きもかつてのようではなく、弱気で依頼心の強い青年もふえてきたようである。

 一種の都市化傾向が進みつつあるのだろうが、分裂質にかわって躁欝質がふえる傾向だといわれる。

 体型の面ては中部山地の特色として中型の筋骨質が多いが、南信は東海道型の影響をうけて筋肉質が増加し、美人も多いようである。