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1、“かかあ天下”といわれる理由 ここには「上野三碑」といって奈良時代の古碑が三つある。 その開拓の古さのといわれる記念碑ともいうべきもので、かつては西の信州を経由してはいってくる上方文化の、関東への門戸であった時代があった。 しかし上州といえば「かかあ天下にカラッ風」という文句がすぐ浮かんでくる。 土地の人は「上州というくらいの上等な土地」というが、夏暑く冬寒く、北には高くけわしい山々がつづき、夏は毎日のように雷鳴がひびく。 畑地に桑を植えて養蚕には成功したが、米が足りなくて信州辺から移入してきたところだから、どう見ても「上等な土地」とは思われない。 こんなきびしい自然に耐えていくためには、よほどしっかりしていなければならないし、またおのずから強い気性を育てられるばずである。 それが世に有名なかかあ天下を生んだのだろう。 かかあ天下ということばは誤解を招きやすいが、じつは女性上位などというものではなく、働き者の細君が家の中心、になり、家を守り維持しているという意味である。 つまり、男を自由に働かせ、活動させるためのよき補佐官がかかあ天下の起こりなのだ。 上州男は生産した生糸や絹織物を持って江戸や横浜と往復し、取引や搬送に従事することが多かったので、自然に主婦が家を守り、養蚕や絹織に精を出すようになった。 このしっかり者の稼ぎ手を他国者がやっかんて、なかばねたみをこめてかかあ天下といったのだが、女がしっかりしなければならなかったのは、風土と生産の結果なのである。 多くの上州女は働き者で正直で、猛婦型ではなく、心は温かくやさしい。 ただ残念なのは、それを表現するにはあまりにも野性的で粗野、かつ田舎者で恥じらいがちである。 それで非常に損をしているようだ。 2、向こう気強い男性 群馬県には美人がいない、と古くからいわれるが、これは少々誇張がありすぎる。 美人が少いぐらいに訂正すべきだろう。 なぜなら、江戸時代の“絹の道”のおかげで、江州、京都、江戸、大阪などとたえず往来があり、人間の移住や混血も行なわれたので、北関東型の骨張って赤ら顔、低身でややガニ股の人に混って、畿内型の色白、長顔、細型の美人が少なくないのである。 上方の血は主として県の東南部に濃いようである。 “大いなるこの寂けきや 天地の時刻あやまたず夜は明けにけり” このりっぱな歌は、この県が生んだ幸簿き歌人・江口きちの辞世である。 群馬女の強さと悲しさのあふれた秀歌といえるだろう。 男のほうは操欝質の一種に勝気が加わって、えらく向こう気が強く、荒っぽい。 そのくせことばほど強引でなく、つい尻すぼみに終わることが多いので、終わりを全うする人が少ない。 しかし、なかにはおおらかで楽天的、親切な人も混っている。 だいたいにおいて外向性の裏に、これと矛盾する内向性を秘め、景気はいいが長統きせず、群集心理も強い傾向がある。 国定忠治が県民の一面を代表するように誤解している人があるが、これも少し訂正しなければならない。 彼はこの県民には少ないてんかん質で、残忍性の強い人間である。 むしろその社会的環境がこのような男を生んだのだろう。 しかし、女が働き者で男が安心して外に出られるところから、いいぽうに行けば絹商人のように成功するが、悪いほうに行くとやくざ者の股旅生活をはじめるという可能性は否定できない。 そのうえ、自意識が強く利己主義な一面もあるから、やくざ者が出る素地はあったわけである。 この県の人の弱点となるのは、豪放を気取り、スタイリストを装う性格である。 高崎市が日本一の音楽堂を建設しながら、かんじんのオーケストラが破綻に瀕していたり、観音山という山の頂にコンクリートの観音像をつくって喜んだりするのはスタイリストの特徴である。 また安中の亜鉛工場はもともと県が誘致したもので、遊休労働力が吸収できるので工場の増設に手心を加えたりするが、公害間題が騒がしくなると群集心理ムキ出しの反対運動をはじめる。 しかし、内心は工場がなくなったら困るという矛盾をもっているのである。 これを裏返して見れば、掛け引きに長じていることで、絹相場で鍛えられた一種の才能とも思われる。 これは選挙にも端的にあらわれて、権謀術策が飛び交い、足をひっぱりあったり、反対派にひっくりかえったり、さまざまな波乱が起こるのが恒例のようになっている。 3、案外、詩人が多く出た 自意識の強さに近代性、文化、信仰などがプラスされると、内村鑑三や新島襄のような人物があらわれる。 キリスト教徒として偉大な足跡を残しているが、ともに信仰的、文化的に時代に抵抗した近代的宗教家である。 反骨という点では、ジャーナリストの阿部真之助をあげることがてきよう。 幕末や明治初年には絹を中心に多くの実業家を生み、出版業では野間清治、政治評論の蝋山政道、数学の岩沢健吉などを出してい。 福田赳夫と中曽根康弘の一騎討も、この県民の性格をよく物語っている。 悪くいえば足のひっぱりあいで、選挙が始まるとよその政党の侯補者に対するよりも激しい闘志を燃やすのである。 和算の関孝和がこの県から出ていることも注目すぺきだろう。 開拓の歴史が古かったこと、きびしい自然の中で、合理性と打算性がつくられたこと、これが数学的思考法を発展させ、今なお県民に合理性を与えている。 しかし、この県には案外詩人が多い。 山村暮鳥、平井晩村、高橋元吉、萩原朔太郎、村上鬼城などみな群馬出身である。 また土屋文明、田山花袋もこの県の人で、それぞれ地域の性格の一面を代表している。 弱点はあるが、合理性と篤実な実行力を群馬県人の美点と解してよいだろう。 |