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1、遅れたその開発 北海道というと、現代の人はみな近代的な明るいイメージを抱くようだが、これは都市部だけの話で、北海道ほど近代と前近代、繁栄と貧困、過密と過疎が入りまじっているところは少ない。 北海道ではいまだに一次産業が大きなウェイトを占めているが、その成長にも寒さや積雪が大きな制限を加えており、自然との長い苦しい戦いはまた終わってはいない。 「好きなあなたと共ならば、蝦夷松前の果てまでも」という芝居のセリフに代表されるように、一世紀前までの日本人にとって、北海道はこの世の極恨てあった。 日本全土を歩測して精密な地図をっくりあげた伊能忠敬も、北海道は知床半島の南で測量を中止している。 これは自然条件のきびしさによるものだろうが、同時に知床半島以北の地図など必要がなかったことも一つの埋由だろう。 それほど北海道の開発は遅れていた。 ![]() 中世以後、和人の渡航も少なくなかったし、江戸時代にはいると北回り廻船が物産を上方に運ぴ、関西の資本が流入したり、松前藩が置かれたりしたが、結局それらは北海道から物資を奪取するだけで、土地に還元するものはあまりなかった。 極言すれば明治までの北海道は骨を埋める郷土ではなく、あくなき和人の欲望の地てあり、収奪の地にすぎながった。 北回り廻船というのは、江戸時代に河村瑞軒がご三陸航路を開発したのに刺激されて、大阪商人たちがつくった松前ー青森の十三潟ー秋日ー酒田ー新潟から裏日本沿岸を西航し、山口県をまわって大阪に至る定期航路のことである。 これは一見非常に迂回しているようだが、積み荷を積みかえる手間がはぶけ、輸送料が安くつくので、従来の若狭湾で陸揚げして近江、京都を経由するコースよりはるかに能率的てあった。 これによって北海道の海産物はさらに大量輸送が可能になったが、社会開発をともなわない一方通行の商業活動てあった。 北海道は明治維新という大きな転機が訪れるまて放置されていたのてある。 2、北海道人の誕生 維新政府は北海道開拓使庁を置いて屯田兵(とんでんへい)を送り込み、貧窮した外様藩の失業武士を続々と移住させて開拓にあたった。 士族という従来の搾取階級は、一転して生産者階級になり、開拓使庁が設けた農学校のお雇い教師から寒地農法、洋菜栽培、牧畜、農産物加工など、それまでの日本人が知らながった近代技術を教わった。 やがて鉱山が開発され、鉄の精錬がはじまって、一次産業が近代化するばかりでなく、第二次産業も興こるようになった。 ![]() その労働力として本土で余った失業武士の大群があとからあとからこの地に渡り、明治以前とは完全に断絶した新しい歴史がっくられることになったのてある。 全国からの移住民は相互に交流し接触し、そこにもっとも新鮮で健康な“北海道人”を誕生させた。 彼らがこの地の伝統を持たなかったことは、人々の心に自由で進取的な気風を育て、近代化を早く受け入れるもとになったのである。 しかし、寒さと戦う開拓の歴史は、想像を超えた苦難の歴史てもあった。 至るところで惨憺たる失敗があった。 けれども、多くはじっとこれに耐えて着々と自然の圧力を合理的に押しのけていった。 この経験は北海道の人に心耐力と科学的合理性を与えた。 北海道の人がもつ忍耐力は、裏日本の績雪地帯にあるような暗さや諦観は見あたらない。 明るく、常に可能性を信じて力を積み重ねていく性格は、北海道の開拓を成功にみちびいた原動力てあり、いまなお“北海人”に残る美点である。 北海道の指導者を育てた札根農学校(いまの北海道大学)の散育は、進取の気風と科学的合理性を特色とした。 これが“北海道人”の近代的性格をつくる上に大きな役目を果たしている。 明治九年(1876)、日本政府の招きで札幌農学校の教頭に赴任したクラーク博士の残した功績は大きい。 ![]() 在任期間はわずが八力月てあったが、彼は弟子たちに自由と開拓精神の尊さを教えた。 札幌を去る日、彼が残した「ボーイズ・ビー・アンビシァス!」の一言は、その後の学徒たちにも強い感化を与えている。 北海道の人が、クラーク先生を含めて、現在も農学校の存在に大きな誇りを持っているのは当然てある。 クラーク博士がキリスト教徒であったことや、函館郊外にあるトラピスト修道院の印象から、“北海道人”の性格形成に、宗教が相当強い影響をもっているように思われるが、調べてみると必ずしもそうてはない。 農学校に大ぜいの外人教師が来たので礼拝堂などはできたが、教会の分布は意外に少ない。 日本でキリシタン鎮圧が正式に解除されたのは明治五年(1872〉のことだから、キリスト教に対する邪教意識はまだ根強く残っており、北海道においてもけっして繁栄はしなかった。 むしろ北海道には寺が一つもなく、明治政府が神道主義の中央集権国家をめざして各村々に神社をっくったことのほうが特徴的である。 したがって、宗教よりも何よりも北海道の人々を強く惹きつけたのは、農学校を中心とするパイオニア精神ということができる。 しかし、船山馨の小説『石狩平野』を見るがよい。 また三浦綾子の『氷点』を読んでもよい。 北海道開拓につながる文学はすべて暗い。 それは風土が暗いからてはなく、開拓当時の生活が貧しく苦しかったからてある。 数年前まては徒食のエリートだった武士たちは、開拓者の一人として倒れても起き、土にしがみっいて生きぬこうと努力を重ねた。 ここで生き残れる者は、不屈の忍耐力と強い体力と自然に順応する合理性の三っをそなえ、さらに完全に自分の過去を断ちきり、心底がら開拓農民に徹し得た者のみであった。 この伝統が“北梅道人”の美点を育てあげたのである。 それは期せずして与えられたものてはなく、自力によってかち得たものである。そこに北海道から進歩的、合理的な努力家が多く出る原因がある。 往時の盛況も………… ![]() 男度胸なら五尺のからだ どんと乗り出せ波の上 今宵一夜はどんすの枕 明日は出船の波まくら これは江刺追分けとともにもっとも伝統の古いソーラン節の文句である。 安政年間に鰊の沖揚漁法がはしめられると、全国から集まった鰊漁の季節労懺者は港々にあぷふれた。 「どんすの枕」とは、その港に栄えた遊里の情景てある。 いかにも荒稼ぎの北辺漁法の哀感をあらわしているが、この遊里はごく最近まで五十一カ所も残っていた。 数では日本一である。 紅灯の港は鰊漁のシーズンには諸国の女たちの矯声でにぎわった。 北海道はまた女の出稼ぎ場てもあったのである。 こうして、出稼ぎ人の現地定着があって、北海道の人間模様はいっそう複雑になっていった。 しかし、いまや鰊場にはかつての活気はない。 鰊屋敷、鰊御殿は残っていても観光名所で、主人は雑貨店などで生計をたて、むなしく記念碑だけが昔の繁盛を物語っている。 これが大資本によって経営された事業ならば土地資本に還元されたろうが、漁業権という無形のもので栄えたのだから、鰊がくれば現全収入があるが、こなければ素寒貧てある。 鰊の漁獲が滅少してから、往時の盛況は民謡に伝えられるぱかりである。 屯田兵(とんでんへい)や士族授産の開拓は、郷里や藩を同じくする集団の共同防衛集落を単位にしていたので、北海道では長いこと一駅ちがうと言葉も習慣もちがうといわれてきた。 今日その点は急速に消えつつあるが、そのこと自体、北海道内での血縁の交流が進んていることを示している。 元来、優生学の基本は“同種異型”の混血を理想としている。 北海道は期せずして明治以来、同じ日本人内での出身地のちがう異型の混血をつづけてきた。 そのため本土の田舎で見られるような体型の地域性が少なく、明治以前の武士というエリートの血が主幹をなしているせいか、顔つきも整った人が多い。 体格も比較的パランスがとれ、長身、長顔、色白で、これが女性にあらわれるとなかなかの美人になる。 いまでも北海道の歓楽街は、本土からの出稼ぎ者が比較的少ないので、ハッとするような“道産子美人”を見かけることがある。 3、暖かみと抵抗精神 北海道といえばアイヌを連想するが、アイヌとは「人」という意味のアイヌ語だそうである。 ![]() いまでこそ人口も少なく、社会的にも大きい地位をもっていないが、彼らはかっての日本の原始文化にっながるものを、現在にまで持ち支えてきた。 文化的には生きている化石ともいうべき尊い存在だが、和人の北海道進出が彼らからその土地や生活権を奪ってしまったのは否めない事実てある。 アイヌ人と和人との混血は明治以後急に進んて、いまでは純粋のアイヌ人が珍しくなった。 そのアイヌ人は、色白く、毛深く、毛は少し縮れ、鼻高く、くちびる簿く、顔骨低く、ヨーローッパ人に似ている。 このためアイヌ人の血を受けた和人には、ヨーロッバ風の近代型の美男美女が少なくない。 “北海道人”らしいタ北海道人”をあげることはむずかしいが、アイヌ出身ではアイヌ語学者の知里真志保(ちりましほ)博士、歌人の這星北斗(いほしほくと)があり、ともにアイヌのために嘆き、その向上に努めた偉人である。 文学者には島木健作(札幌)、小林多喜二(小樽)、伊藤整(小樽)、本圧陸男(函館)、亀井勝一郎(函館)など。 これらの人々に共通する沈潜した一脈の暖かさと、批判と抵抗の精神は、やはり北海道がつくった気風の抽象の中から生まれたものと解される。 今日の北海道は、都市部において目をみはるような近代化が行なわれている。 1972年に札幌は冬季オリンピックを招致して大規模な都市づくりに成功し、その後も急速な都市化の道を歩んでいる。 それに対して、農山漁村部の停滞はまた目をおおうものがある。 道内の町村はすべて過疎化の一路をたどり、市部でも三分の二が過疎化の危機を訴えている。 その意味で、いかに都市部に経済的繁栄があらわれようとも、北海道はいまや一つの転機に立っているということができる。 この転機が、機械的な人口問題だけてはなく、あの大陸的ておおらかな、そして進歩的で人なつこい“北海道人”の気風まで変えてしまうのでなければよいがと気にかかるのは、私一人てはないと思う。 |