自我年齢

1、自我年齢とは

 自我年齢とは、人格の中心となる能力です。一本の樹木に例えると、「幹」に当たります。

 時々刻々、そして日々、そして年々の生活体験から何を学び何を“力”にしたかの総量が自我年齢という力になります。

 幹から沢山の枝が生え、葉が茂り、そして花が咲き、果実が実ります。この「私」という自我年齢が中心となって知能や変化対応、コミュニケーション能力等、無数の能力として枝が出て葉が茂り、花が咲きます。その意味で「生産年齢」または「自主自立年齢」あるいは「自己拡大年齢」とよぶこともできます。

 では、この幹である自我年齢は何を肥料や栄養にして育つのでしょうか?

 ここで、誕生したばかりの乳児を考えてみて下さい。

 乳を飲む、排泄する以外は何もできない「無能」の状態です。何も知らない「無知」の状態です。

 この状態から考えると、何もできない「無能」から、「できる状態・有能」へ成長すること。「何も知らない無知」から、「知っている状態・有知」へ成長することが人間が育つということ、成長するということになります。

 「無知、無能」から「有知、有能」に育つその変化は「知る、自覚する、発見する」ことによって行われています。

 つまり、自我年齢は「知る・自覚・発見」によって育ちます。「知る・自覚・発見」とは、自分以外の「人がいること、物があること、法則や原理が働いていること」に気付くことです。

 では具体的に何を自覚し、何を発見することから始まるのでしょうか、育つのでしょうか?


2、自我年齢のテーマ1・「自覚・発見」

A、「個性、本分、存在理由の自覚」

 人間には一人一人個性があります。その人間だからできる本分を持っています。その人間が生きているが故に周囲が、集団が成り立っていると云うその“存在理由”があります。

 現在、人類60億。これまでの歴史上膨大な数の地球上の人間ですが、同じ指紋の人間は一人もいないという事実、あるいは、地球上の無数の草花、木々のその無限とも云える葉の葉脈(人間の指紋と同じ)には、同じものは一枚もない、という事実から、人間一人一人は必ず独自の個性、特徴、その人間でなければならない存在理由、使命を持っていると云うことは明らかです。

 その個性を発揮するためにこの世に誕生してきたはずです。人間に個性がないとするなら、機械でこと足ります。個性が必要でない道具なら大量生産すればそれですみます。

 わざわざ努力する、わざわざ苦労してまで生活する。そんな努力も苦労も誰もしたくはないはずです。

 本人の個性なら、本人のやりたいことなら、それを発揮することが最高の喜びだからどんな苦労も、どんな努力もいとわない、それが人間というものだと思います。

 苦労という言葉、悩みという言葉は、その人間をはたから見て表現している言葉です。

 本人が、「悩んで苦しい、だからもう嫌だと」と本心から云うなら、それは個性発揮の仕事ではないからです。個性、本分、使命の発揮ならどんな苦労も、どんな努力も決していといません。個性、本分の発揮が最高の喜びであることを知 っているからです。

 個性の発見が急がれます。

B、「 超自我 ちょうじが の自覚」

 それは「超自我が働いていることを知る」、これが「私」という自我が気付き知り・自覚・発見すべき第二です。

 超自我とは「この私という自我を生み、生かし続けているものです」。その意味で超自我は「創造の自我」です。「生命の自我」です。樹木で云えば「根」に当たります。その「根」に当たる本質の自己(超自我)があることに気付くことが自我の第二の課題です。(「超自我」についてはここをクリックして参考にして下さい)

 人間の不安、心配、恐怖、苦悩の根本原因は「超自我との交流がないこと」にあります。何故なら、私という自我を生み、そして生かし続けている元ですから、その元には自我が必要とする一切があることは明らかです。自我が超自我と交流せずに孤立していることが苦しみの原因です。

 その当たりの事情は人体の神秘な働きを考えるとうなづけます。

 人間は自分が自分を生きながら、自分のことを知らないという、まことに不思議な存在です。又は、自分が自分を生きながら、自分が知らない自分を持っているという不思議な存在です。あるいは自分で自由にならない自分を持っているという、これも不思議なことです。自分という自我を越えている超自我が働いてると認めざるを得ません。

 人体機能にしても、自分の意志で自由にならない不髄筋があります。内臓の殆どは自分の意志とは無関係に働いています。脳細胞の働きも自分の意志で自由にはなりません。どうして物事が記憶されるのか、どうして目に写った映像が心で見分けられるように働いているのか知りません。全く自分(自我)の意識とは無関係に働いています。この“働き”が事実あるのですから、その“働き”をしているのが超自我です。超自我を認めざるを得ません。

 私達が食事をしては食べ物を胃に入れます。その食物を分解し、それを骨の髄で新たな血液という細胞に製造する方法なんて知りません。血液は体重の約12分の1と云いますから、体重60kgの人で約5Lの血液が体内を流れていることになります。

 赤血球は1ミリ立方に平均約500万個、白血球は7.000個。赤血球は造られて120時間の寿命、白血球は6時間の寿命だそうです。白血球は6時間の寿命ですから、一秒間になんと約16,000個の白血球が骨の髄で製造されていることになります。 私達は知らん顔していますが、驚くべきことが瞬間瞬間体内で行われています。

 血管の長さは96,000kmあると云われます。地球を2周半する長さです。その体内の血管の中を血液は秒速2mの早さで流れているそうです。どのくらいのスピードでどのくらいの量を流したらよいか私達はとんと知りません。知らなくても 血液は流れています。

 この神秘な人体の機能、人体の“働き”を“それは偶然にそうなっているのだ”と、偶然という言葉で片付けることはとてもできません。偶然の偶然、その又偶然、その又偶然の結果である等と考えることはできません。人体の“働き”を統括している“知性”がなければ不可能なことです。その知性の持ち主が「超自我」です。

 病気になる時もどうしてなったか分かりません。病気が治る時もどうして治ったか分かりません。いつ生まれるのかも分かりません。いつ死ぬのかも分かりません。しかし、生まれるという事実、死ぬという事実がある以上、その生死を作 り出したいる何者かがいることです。その何者かを「超自我」と名付けました。

 私という自我が必要とする全ての能力をはじめ、刻々変化する生活や仕事に必要なアイデアやヒントは超自我から生まれてくるものです。自我が必要とする一切は、超自我との交流によって得られるものです。「超自我」の知性を信じただけその知性を発揮できる原理が働いていますから、どのくらい信じ切ることができるか、その度合いが運命を切り開く「鍵」になります。「超自我」とは全知の自己、全能の自己です。


C、「法則・原理の自覚・発見」

 自我が自覚しなければならない第三は宇宙を支配している「法則、原理の働き」です。宇宙は複雑のようですが、現象を突き詰めていくと全てその中には法則、原理が働いていることを先人は証明してきました。科学の目覚ましい発達も、文化の発達も全て先人が法則、原理を発見し、その活用の研究によって生まれたものです。

 1+1=2 という数の原理は宇宙全体の中で働いている原理です。物体と物体と引き合うという万有引力は宇宙全体の中で働いている原理です。


3、自我年齢のテーマ2・「生産」

 「テーマ1」にあげたように、人も物も自然も万物全て、一人一人、一つ一つなくてはならない「個性」「存在理由」を持っています。存在していることの「価値」です。その一人一人、一つ一つが持っている価値を周囲に発信し提供し ています。それぞれの「価値の生産」によって集団が「全体として一つ」になって目的を実現していきます。

 当然、価値の生産のために消費も必要です。仕事をする、スポーツをするその労力を生み出すためにはカロリーと栄養を摂取する必要があります。そのために食べ物を取り入れます。これは食物の消費です。生産のための消費です。生産が主体でそのための消費です。消費が優先し、消費が生産を上回るとバランスを崩します。会社や店舗に例えると、広告宣伝費や維持費の“支出”が販売の“収入”を上回ると経営破綻をきたすのと同じです。

 一人の人間もその意味で「生産と消費のバランス」があります。

 仕事での価値の生産、人間関係での価値の生産です。仕事上で役割分担を計画通りに果たすという「価値の生産」。人間関係を円滑に意義ある関係とする「意志疎通や思いやり」と云った「価値の生産」です。

 この世に誕生した一個の生物が成長し、一人前になって「価値の生産」をする、その決め手がその人間の「価値の生産力(個性の発揮)」です。それが「自我年齢」です。


4、自我年齢の成長をはばむもの

 ところが、自我年齢が順調にすくすくと育ちません。その成長過程に立ちはだかる阻害要因があります。

 それは「自主自立、生産力を妨害する要因」です。

 この世に誕生したばかりの人間の状態は、何もできない、何も知らない状態です。

 できることは乳を飲むこと、排泄すること、泣いて報せること、寝た状態で身体を動かすことくらいです。乳児は養育者(主として母親)に100%の庇護、保護、養育をうけて成長します。人間の場合、動物と違ってそうでなければ成長することができません。

 一言で云えば、100%養育者に依存依頼して成長します。この意味で完全な「受け身」です、「消費」です。樹木で云えば、養育者は一本の大木として自立するまでの添え木です。

 「養育者に〜してもらう」という受け身が日々連続します。その日々の習慣は乳児、幼児に「養育者への依存依頼」の意識を植え付けます。「消費の意識」です。これが「甘え意識」の発生です。

   人間は養育されて成長し、一人前となり成人となります。成人の条件は自主自立です。互いに役割分担を受け持ち、各自の力を発揮してその役割を果たし合う、「価値の生産」、それが成人の条件です。樹木で云えば、桜の木として梅の木として、添え木なくして一本立ちし、植物としての役割を果たし、美を発信をすることが条件です。

 成人の条件は「受け身」ではなく、積極的な行動です。自ら花を咲かせ実を実らせる、……人にしてもらうのではなく、自ら進んで実行する生産行動です。「甘え意識と甘えの行動」の反対です。

 「自我年齢」とは、「自主自立年齢」「生産力年齢」と言い換えることができます。

 自我年齢が低いとは、個性を発揮しないで甘え体質であること、人への依存依頼体質で、消費が生産を上回ることを意味します。

 そして、甘え体質の大きな欠陥は、人間が生来持っている個性と本質の能力「超自我」を自覚できないことです。「自己の能力」に目覚める原理は、自分の力(個性)を発揮することにあります。

 甘え体質は人にしてもらうことによって、「自己の能力」に目覚めません。

 「敵は己の中にあり!」という格言は「敵は己の中の甘えである」と置き換えることができます。己の中の敵と闘い、克つことが自主自立の条件になります。

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